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【本紹介】藻谷浩介さん、経済成長がなければ僕たちは幸せになれないのでしょうか?

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https://www.amazon.co.jp/藻谷浩介さん、経済成長がなければ僕たちは幸せになれないのでしょうか-藻谷浩介/dp/4761513098


書名:藻谷浩介さん、経済成長がなければ僕たちは幸せになれないのでしょうか?
著者:藻谷浩介、山崎亮
出版:学芸出版社
発売:2012年7月7日
頁数:200ページ


著者は藻谷浩介さんと山崎亮さん

この本は、「里山資本主義」で“里山”という課題先進国日本を救う生き方を提唱したエコノミストの藻谷浩介さんと、「コミュニティデザイン」で住民参加型の総合計画作りなどのプロジェクトを世に紹介したコミュニティデザイナーの山崎亮さんによるトークセッションを本にしたものです。

山崎さんの著書は今まで読んだことはありませんでしたが、日ごろから「お金とはどう付き合えばいいか」「豊かな生活とは何か」を考えて過ごしているぼくには、この書名「経済成長がなければ幸せになれないの?」はど真ん中にささりました。

 

書名をみて

最初に思ったのは、経済成長がなければ幸せになれないなんてこたぁない、ということ。

というか世界だろうと日本だろうと、経済成長したとしても幸せになれるわけじゃないよね?そもそも経済成長と幸せって関係あるんかい?なんてことを考えながら本を開きました。

 

「経済成長」は「年収の伸び」のようなもの

読了後もっとも面白いと思ったのは、経済成長についての表現が分かりやすく、今の日本には経済成長と幸せがあんまり関係ないことがイメージできたこと。具体的には次のような感じ。

国の経済成長というのは経済規模(GDP)の伸び率のことだけど、ここで国をひとつの家庭だとすると、経済規模(GDP)は世帯年収、経済成長は世帯年収の伸びと考えられます。

国の安定的な経済成長が達成されるということは、家庭でいえば安定的に世帯年収が増えていくということ。すなわち一昨年、去年、今年の年収が5%上昇する、みたいなことです(例えば400万→420万→441万)。

でもそんなことで家庭の幸せが測れるとは思えないんだけど・・・?

 

経済成長は資産(ストック)をみていない

安定的に世帯年収が増えていくことってそんなに大事なことでしょうか?
売却できる土地や持家を持っていたり、預貯金がしっかりたまっているなど、ストックがすでに十分あると感じている方は、年収が毎年安定的に増えなくてもいい、あるいは年収がまったく増えない年があっても構わないと感じても全然おかしくない。現在の年収に満足している方も同様かと。

また、人と人とのネットワークや伝統といったお金で測れない資産もありますが、それも年収の伸びには直接的に影響を与えません。

結局のところ、経済規模や経済成長というのはお金のフローを測っているのであって、過去にその人(家庭)がどれだけストックを蓄積できているかという話ではないんです。

更にいえば、ストックが十分にあって、年収も相対的に高くて、しかも安定的に伸びているとしても、その家庭が幸せであるとは限りません。

そんな具合で、年収の伸び(経済成長)とその家庭(国)の幸せの間にはいくつもの隔たりがあるんです。

 

物欲まみれのステージを通り過ぎた日本

ここで最初の質問に戻ると。

Q:経済成長がなければ幸せになれないのか?
A:経済成長で幸せを測るには両者の隔たりが多い。経済成長がなければ幸せになれないということはない。


これが質問の回答です。・・・ただし!

本のなかで藻谷さんが指摘していますが、今の日本は戦後の高度成長期を経て莫大なストックを有しているから上記のような回答がが出来るんです。

戦後間もない日本が経済成長とともに生活の豊かさを手に入れたように、ストックが十分でない発展途上国の人々は経済成長(年収の増加)によってある程度幸せを手に出来るのだと思います。

以下、本から藻谷さんの発言を引用します。少し長いですが本書のエッセンスがつまった部分です。

今の日本はその莫大なストックに頼ってもある程度まで経済を回せるところまで来ていて、かつ何もしなくても年間何十兆円もの金利が入ってきて、食料自給率が39%と言いながら食料輸入額は年間5兆円程度というのが日本の国です。・・・こんな風に、ある意味ひじょうに豊かさが確立されきった状態になったのは、日本の歴史上でも初めてなのです。2、3年どころか20年寝ていても食えるという、歴史上例を見ないストックが貯まった時代に今、私たちはいるのです。

発展途上でモノが不足している社会ではある段階まではやっぱりモノが増えていくことが嬉しいので、いかにモノがなくても幸福だと言っていてもどこかでそのフィクションががたがたに崩れて、みんなが物欲の固まりになる危険性の方があると私は思っています。

一旦物欲まみれというステージをきちんと通り過ぎた後で、やっぱり物欲だけではしょうがないというところに至って初めて、次のステージに行けるのではないかと思います。日本は、むしろ物欲を通り過ぎるところまで来ているので、別の幸福度を入れてもいいように思います。ある程度モノの良さもわかったうえで、モノではないもので精神的にみたされることも必要なんですよ。なにかほどほどのミックスを、我われはたぶん狙っているのではないかという気がします。

最近、断捨離やミニマリストのように出来るだけモノを持たない主義が注目されたり、田舎への移住者が増えたり、パリピが増えたりしていますが、それらは「日本が物欲まみれのステージを通り過ぎて、モノ以外で精神的にみたされる方法を模索しているから」と考えると素直に理解できます。

 

おわりに

今の日本(日本人)は「モノの保有、またはモノを購入できるお金の保有による幸福感」と、「モノではないもので精神的にみたされる幸福感」のバランスを狙っているという藻谷さんの発言を読んだとき思わず「マジでそうだわ」ってつぶやいていました。

そのバランスは県・市・街ごとに異なり、本書では「(街を)ライフステージに応じてそれぞれ選んでいけるということが日本の幸せなのでは」と締めくくっています。
経済成長は便利さをもたらすため、経済成長そのものを悪だとは思いません。しかし便利になっても幸福になるわけではありませんよね。

新しい商業施設にエスカレーターがあっても誰も感激しないでしょう。これがエスカレーターが普及する前なら全く異なる反応だったでしょう。どんな技術であれ、慣れきっちゃうと幸福感を感じなくなるんですよね。

しかし、幸い経済成長と幸福感の向上は相反するものではなく、同時に目指すことが出来ると考えています。以前紹介した、幸福感ををお金で買う方法を著した本はこちら。

 

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2003年より5年間、都内では義務教育初の民間人校長として和田中学校校長を務めた藤原和博さんによる著書で、コチラの記事で紹介しています。

数百円のためにスーパーをはしごする一方で、数十万円のモノはエイヤっと買ってしまう方に超オススメの本です。